小童谷は、こうなることを予測していたのだろうか? 自分が病院で寝たきりになった後に、いや、ひょっとしたら死んでしまったかもしれないその後に、僕がこうやって美鶴に責められるのを、小童谷は知っていたのだろうか?
気怠そうな声が、耳の奥で響く。
「お前に関わらなければ、彼女は学校中の好奇に晒される事もなかっただろうね」
美鶴が自宅謹慎に処せられた時だってそうだった。原因は自分で、自分のせいで美鶴は不幸になっていると、あの時瑠駆真は、本当に自責の念に苛まれた。
「そちらが想っていても、果たしてあちらは想っているのかな?」
「遇われても、健気なものだな」
「大迫美鶴も、つくづく可哀想な女だな。お前なんぞに好かれなければ、もっと平穏な日常が送れただろうに」
容赦なくその胸を抉る小童谷に対して、それでも瑠駆真は反撃した。
「僕は明日、美鶴と過ごす。だがお前は母さんとは過ごせない」
「僕の傍には美鶴がいる。だが、お前の傍に母さんはいない」
良く言えば一途に、悪く言えば盲目的に瑠駆真の母に恋焦がれる小童谷にとって、それは痛恨の一撃になるだろうと確信していた。瑠駆真の言葉に冷静を失い、珍しく声を荒げる小童谷の声が耳に心地良かった。
ざまぁみろ、僕と美鶴を引き離そうとなんてするからこんな反撃に合うんだ。
自分は勝った。小童谷からの嫌がらせに勝ったんだ。
達成感に浸った。同時に大きな興奮が瑠駆真を包んだ。
僕は勝った。小童谷を跳ね除けた。昔の僕にはできなかった。そうだ、くまちゃんと呼ばれていた頃の僕には決してできなかったはずだ。
陰気を撒き散らし、周囲に背を向けてスネていた頃の、くまちゃんと呼ばれて虐められていた頃の自分。小童谷はそれを知っている。知っていて、思い出したくもない過去を引っ張り出してきては瑠駆真を責めて辱める。
でも、僕は勝った。僕は変わったんだ。
美鶴、僕は変わったよ。もう昔の僕じゃない。
「ざまぁみろ」
小童谷へ投げたその言葉が、瑠駆真に大きな勇気と自信を与えた。それが人を見下した結果に得られたモノであったとしても、瑠駆真にとっては大した問題ではなかった。
小童谷など、見下しても構わないんだ。
自分が勝って、これですべては終わったと思っていた。だが目の前で、美しい瞳が自分を睨んでいる。好きで好きで堪らない相手が、まるで憎むように自分を睥睨している。
「お前のせいだ。お前のせいで私はさんざん迷惑している」
その瞳には非難しかない。瑠駆真への愛情など、欠片も存在しない。
「ざまぁみろ」
耳の奥に木霊する。
「お前、今度こそ大迫美鶴に嫌われるよ」
小童谷、お前にはわかっていたのか?
勝ち誇ったような高笑いが聞こえる。
自分亡き後に僕が美鶴に責められる事を、君は知っていたのか? それとも、自分が自殺する事でこういう状況に陥るよう、君が仕組んだのか?
これは仕掛か。お前が巧妙に仕組んだのか?
なぜそこまでする。僕を貶める為ならば命をも捨てるのか? なぜ? 母さんがこの世にいないから、だから命など惜しくもないのか?
狂っている。
美鶴の瞳を受けながら、深く悍ましい存在に寒気を感じた。
そこまで僕を憎むか。それは母さんへの愛か?
遥か遠くの病院の一室で、小童谷陽翔が高笑いをしている。すべては彼の思い通りに運んでいるようで、目の前の展開はすべて彼によって巧妙に誘導され、作り上げられた筋書きなのではないかと思えてしまう。
眩暈がする。目の前がチカチカと瞬いて、頭がクラクラと揺らぐ。
自分は、自分の目の前に展開する状況は、すべて彼によって仕組まれている。操られている。
遠隔操作。いや、まるで呪いにでもかけられたかのようだ。
呪詛。呪縛。怨呪。
冗談じゃないっ!
瑠駆真は、まるで自分にかけられた呪いでも跳ね除けるかのように右手で空を払った。そうして、いきなりの行動に瞠目して軽く身を引く美鶴を真正面から見つめる。
「僕には関係ない。たとえ僕が小童谷陽翔と言い争いをしていたからといって、それが原因で彼が自殺をしたなどという噂の証拠は、何一つ無いだろう?」
そうだ。周囲は、僕が小童谷を追い詰めたのではないか? 携帯での隠し撮りを激しく責めた為、責任を感じた小童谷が自殺に走ったのではないか? そう噂する。だが、そんな証拠はどこにも無い。
「そもそも、遺書だって無いんだ。自殺とも限らない」
「違うって言うの?」
「それは」
状況から考えると、どう想像しても自殺だ。だが、遺書は見つかってはいない。
突発的に? あの交差点で偶然僕と美鶴が一緒にいる姿を見て、悔しさで我を忘れてしまったとか。
事故の直前、瑠駆真は一瞬だけ小童谷陽翔の姿を目にした。だが、次に探した時には、もう人混みのどこにも彼を見つける事はできなかった。
見間違いか?
そう首を捻った直後に、事故が起きた。その時はまさか被害者が小童谷だとは思わなかった。
人がはねられたという騒ぎに好奇心も沸いたが、終電の時刻が迫っていた為、三人とも現場を見る事はなく、人混みを掻き分けるようにしてその場を去った。
小童谷が事故で意識不明だと知ったのは翌日。瑠駆真を慕う柘榴石のメンバーが、ご丁寧にもメールをしてくれた。
さすがに驚いた。だが、まさか自殺で、原因が自分なのではないかといった噂が唐渓生の間で流れているとは思いもしなかった。新学期が始まって噂を聞いて、絶句した。
あまりの事に唖然として、どう振る舞い、どう発言すればよいのか、わからなかった。
一ヶ月経った今ですら、解せない。
小童谷が僕に罵られて、それを苦に自殺? あの小童谷が?
あり得ない。
担任に呼ばれて事情を聞かれたが、知らぬ存ぜぬで通している。学校側は瑠駆真の立場を意識しての事だろうか、深くは追求してこない。
小童谷の親族から抗議などはきていない。学校側が止めているだけなのかもしれないが。
「とにかくっ」
あれこれと飛び交う憶測のすべてを振り払うように、瑠駆真は声を大きくした。
「想像だけで疑わないでくれ。迷惑だというのなら、こちらだって十分迷惑をしてるんだ」
「アンタは当事者でしょう? 小童谷陽翔とモメてたのはアンタなんだから」
「あっちが一方的に絡んできただけだ。僕だって無関係だ」
そうだ、僕には彼と争う意図はなかった。彼の顔も見たくなかった。いなくなってくれればいいと思っていた。
このまま―――
グッと机を睨みつける。
このまま、目覚めなければいいのに。
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